|
とにかく気まぐれに書きたいことを書くブログ。
今日は映画のレビュー。 薦められて見てみましたが、実に素晴らしい内容でした。 1950年代、イタリアからアメリカに渡ってリストランテを開いた「プリモ」と「セコンド」の兄弟が主人公なのですが、プリモはあまりに職人気質で「人目を引く料理」ではなく「味にこだわった料理」しか作らず、腕前は本国でもおそらく超一流として通用するほどなのに見た目が派手でショー要素にあふれた「偽イタリア料理」に追いやられて苦々しく思わずにいられない(料理でのショーを彼は「料理のレイプ」とまで罵っています)。 セコンドは兄の料理を「天から授かったもの」と心底認めながらもリストランテの経営は傾くばかりで、フィリスと言う相思相愛の恋人を作りながらも生活が安定しないのを苦にして一線を越えられず、ストレスを溜めずにいられない。今日も通りで煙草をふかしながら、向かいにある、同じくイタリアから渡ってきて大成功しているパスカルの店を眺めるばかり。こんな具合で、二人の日常にはどこか疲れたような空気が漂っています。 しかし、登場人物の日常が台詞にしっかりと表され、役者の演技も完璧、カメラワークもきちんとそのシーンの表すものを表現するために考えられたものなので、その空気にはどこか暖かさがあり、すれ違いさえも複雑な感情を感じさせる生に満ちたものでした。 設定の活かし方や登場人物の心情表現を考えたカメラの使い方、視聴者を置いてきぼりにしない丁寧なシーンの組み方など、この作品は本当に「映画としてこうあるべき」教科書のようなものです。内面をいちいち全部言葉と文章にして出さなくとも他人に何かを伝えることは出来る、そんな映像表現の基本中の基本を全くおろそかにしていません。 カメラの使い方や役者の演技は実際の視聴を見るしかないとして、例えば兄弟の関係。 弟からしてみれば、経営の腕はありながら(兄共々パスカルの店に、おそらくは片腕として誘われているくらいですから)兄の完璧主義のせいで割りを食っています。 しかし、弟は兄がこっそり想いを寄せている花屋の女の子のことを知っていて、仕事上がりに「今日は寄って行かないのか?」と突っついたり、リストランテでのパーティーに女の子を招待しなよ、と梃子を入れたり、誘いそこねた兄の代わりに女の子にパーティーのことを伝えたりし、 兄は兄で床屋の店主に「彼女とのことを弟に教えたのはお前か」と恥ずかし半分で絡んだり、女の子をパーティーに誘おうと花屋に入ったはいいものの徹底的な不器用っぷりで話を切り出せずに帰ったり、食材の購入の時にその品質のことでこだわって弟を困らせながらも弟に説得されるとしぶしぶ妥協したりと、 「生きて行くことには不器用だしガンコで料理以外のことに目が行かないことがよくあるけど、ひたすら善良で仕事に誠実で弟のことを愛しお客のことを心底考えている」愛すべき兄と、「真面目でストレスの受け役だけどそんな兄を愛してそのこだわりを可能な限り尊重せずにいられない」愛すべき弟と、両者の間に感情が通い合っているのが行動としてしっかり表現されているのです。 それに加えて、周囲の登場人物もただの台本のショーアップ役として登場するのではなく、リアリティのある人間として描かれていて感情の現実性を非常に強めています。例えば兄弟のリストランテを見下ろす、プリモから見れば「料理の虐殺場」とでも言うべき店の主人であるパスカルですが、いかにもな金持ちの悪役ではありません。 彼は彼なりに移民としてアメリカで成功する術を学んだだけであり、同じイタリア人として、また羨むほどの才能の持ち主として(ラスト近辺では、彼が兄弟の料理そのものには敬意を払い、悲しみさえ感じているのがよくわかります)兄弟を何くれとなく気にかけてくれます。普段のノリは軽くとも、発言の内容は苦労人かつ兄弟の同胞としてのそれなのです。「商売人」である以上商売度外視でリストランテを助けることはしませんが、それでも二人を抱えている借金共々自分の下に抱えようと何度も誘いをかけています。 (実際、金持ちならば「本当に味のわかりそうな」上客を集めた、材料費や手間や助手の確保に頭を悩ませることなどない店に兄弟を支配人として置くことで自分に儲けを出しつつ才能を保護することは出来るのですから) これらの丁寧な土台の上に語られる、「作中ではたった一日」のあっけないほどスケールの小さい物語。109分も使ってたった一日を描いているのにちっとも中だるみはせず、気がつけば観終わってしまっていました。つくづく、カメラワークや俳優の動作と表情による描写の力と言うものは絶大と感じます。 wikiにも項目のないややマイナーであろう作品ですが、今まで観てきた中でも屈指のお薦めです。映画や舞台が心底好きな人ならば、探し出して観る価値は十分過ぎるほどあると断言します。 PR
えー、今日はこの間発売したデモンパラサイトリプレイ「ぬぎぬぎアクマとぱくぱくデーモン」について。
いや、前回のきつい言葉は誠に失礼しました。藤澤さなえ氏、今回の「デモンパラサイト」リプレイは上出来。どうも下手に本能を押さえつけようとするからいけないのであって、タチの悪い(褒め言葉)プレイヤーと一緒に卓を囲んでポロリイヤン全解放すると、かなり楽しいリプレイを書ける人のようです。 読んでて「全員楽しそうに遊んでいる」のがよくわかります。毎回いじめられ役の純香にしてからが、わざと他人の突っ込みやすい余地を残してる「誘い受け」モードにしか見えないし……。しかしほんとにタチ悪いなあ、緒方剛志。一緒に卓を囲んでみたくなるようなならないような困った(完全に褒め言葉)プレイヤー。 このリプレイでもよりはっきりしましたが、デモンパラサイトはけっこう開拓の余地の残っているゲームだと思います。衣服の始末や飲み食いし過ぎでのお財布の心配など、妙に身近なことで(ルール上の処理レベルで)ドタバタできる楽しさって言うのは、最近のゲームでは珍しいものですから。 基本的にはコメディタッチなゲームだと思いますが、やろうと思えば生肉を貪り食い、戦闘では返り血にまみれながら敵を電柱で平たくなるまで殴り潰す伝奇系鬼御魂とかも出来るでしょう。シナリオのバリエーションと言う点でも、ある程度の性能はあるかと思われます。もちろん、「異能もの」という時点である程度縛りがかかるのはどうしようもないところですが、それはジャンル的宿命なので仕方ありません。
この間、とても悲しいことがありました。
知ったばかりの良いお店が、数日後には閉店の予定だったのです。 今では閉店してしまったそのお店の名前は「鳥ぎん」、祐天寺の釜めし屋さんでした。 あれは、立地が悪すぎたのかなあ……何せ商店街の一番端っこで駅とは反対側、しかもビル内店舗でかつ看板も目を引くものではなく。私も、事前の情報がなければ気付くことはなかったでしょう。 しかしながら、見た目は目立たなくともその味は記憶に長く残しておくにふさわしく、こうして記録に残しておくことにしました。 まず頼んだのは五目釜めしと鳥の煮物でしたが、何がいいって下ごしらえと基本の調理が本当にしっかりしていることでした。 五目のそれぞれにつけられた下味は濃さは完璧、辛くもなくくどくもなく、しかしご飯に隠れてしまうこともなく。それに、うまみも一辺倒ではありませんでした。ご飯と具が一緒の味つけになってしまわず、具のそれぞれに別の下味が染みこませてあったのだと思います。また、それぞれ適度に固さも残してあり、ご飯の歯ざわりの絶妙なアクセントでした。 そして火の通し方も見事の一言。鳥の煮物の大根は芯すら残さず出汁をしっかり含んでいて、なのに煮崩れなど一切なく、かと言って柔らかすぎることもなく。「固さ」を歯に感じさせながらもそれが歯に抵抗と感じることがない、何とも言い様のない絶妙な加減でした。 この真面目な仕事ぶりと、食べていてわかる材料の真っ当さからこれはと感じ、メニュー内に見かけた焼き鳥(正肉)も追加注文してみました。するとこれが、滅多にないほどいい鳥肉。何と言っても肉の甘味が違いました。また、焦げ目部分がこってりしすぎることもなく、たれの焼き鳥としては信じられないほどすっきりした後味。炭火で焼くと時に煙の香りや焦げて濃縮された味つけがこってりし過ぎると感じることがありますが、全くそんなことはありませんでした。 ご主人夫婦の人当たりもよく、初顔の私がちょっと話しかけてもしっかりと相手をして下さり、完全に満足したお店でした。ちなみに値段の方も、「もっと高くてもいいかも」と感じるくらい。 ああ、あんなお店があの一度きりとは何と悲しい……その記憶が薄れてなくならないよう、せめてここにこうして書きとめて残しておきます。 ……と言うばかりでは、「お前の思い出話なんぞ聞きたくないわ、これじゃ情報として役に立たないじゃんよヴォケ」と言われそうですので追記。実はこの祐天寺、一部では非常に有名なカレー屋「ナイアガラ」を初め、ちょこちょこと名店が隠れています。自分の足と嗅覚を頼りに休日歩いてみると非常に面白い場所ですよ。
はい、今回は白黒時代、1930年代のアメリカが舞台の、同名の小説を原作にした洋画です。
主人公の男「ジョード」が刑務所から帰ってきてみれば、小作農の家族は地主に追い立てを受けていて、やがて土地から離れざるを得なくなり、働き口を求めて旅をするもその途上では……と言うお話。 土地の荒廃と労働の機械化、そして資本主義の大規模化が追い立ての背景にはあり、ジョードとその家族は「抵抗しようにもどこに本体があるのか判らない力」に翻弄され尽くすことになります。 基本的に、どうしようもないくらい暗い話です。労働者を描いた、いわゆる社会派映画ですから。しかし、これは間違いなく時代を超えた大作のひとつです。今も昔も労働問題の根本は変わらず、労働者が自分達の生活を守るのにはどうすればいいかと言うのも変わらないんだな、と痛感させられます。もちろん、今の日本の経済はアメリカに強く影響を受けているのでより身近には感じられますが、おそらく洋の東西でも基本の図式そのものは変わることはないでしょう。たぶん社会主義の中でさえも、人の権力に順位がある限り。 作中では演出のためだけに不自然なほど強調された場面が描かれることはなく、単純な「一人の巨大な悪人」と言う図式も否定され、あくまで淡々と社会そのものの悲鳴と、その中では砂粒ほどに小さい個人の心の動きが丁寧に描き込まれています。だからこそ、登場人物の心情がよく判り、物語に深く移入できます。まさに名作と呼ぶにふさわしい出来でした。 白黒時代やカラーになったばかりの映画には、色々侮れないものがあります。最新の貸し出しコーナーには並んでいないかと思われますが、奥まったコーナーを探して見てみるのもたまにはいいんじゃないでしょうか。 名前を聞いてはいたけど、原作の方も読んでみようかな……。
さて、本日は神田連雀町の「近江屋洋菓子店」をご紹介。
まず、この店に言いたいことがひとつ。けしからん! いやー、今どき値上げもせずに、タルト一切れ210円で材料も味もまっとうだとか、もうちょっと値上げしても全然バチ当たりませんよ?それでいて店内は常に清潔が保たれて居心地良く従業員もいい人ばかりで、飲み放題500円を頼んだらカウンターの向こうで100%果物だけミキサーにかけて作っているのが見える果物ジュース数種類にバナナミルクにチョコミルクに紅茶に、おまけにボルシチ飲み放題って無茶苦茶もいいとこです。むしろあれで経営が成り立つのかといつも心配なくらい。 日曜日以外にはパンも売っているのですが、ポテトサンドやピロシキがまた素晴らしい。特にピロシキなど、皮と中身の割合が2:8を確実にオーバーする素晴らしい中身の入り具合に加えて味も非常に良い。油っこくはあってもぎとぎとしてないし。 洋菓子の方では、果物の酸味とタルト部分の味の調和をうまく保っているタルト類もいいですが、一番のお薦めはやはりアップルパイ。林檎と皮の味のバランスは見事の一言、かつ皮だけでもバターの香り高く、よく焼けていて文句なし。 大通りに面しながら積極的に探さないとうっかり見落とす飾り気のない出入り口のこのお店ですが、住所を探して行ってみるだけの価値はあります。この店のあり得ない商売、きっと皆さんの度肝を抜くでしょう。 ただし、大勢でぞろぞろと行き過ぎないようにご注意。人が多すぎると失われる良さと言うのも、また確かにあるものですから……。 |
カレンダー
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
比翼
性別:
非公開
ブログ内検索
カウンター
|